((((;゜Д゜)))新聞

「ハリウッド映画に負けていますか?」スクウェア・エニックスプロデューサー北瀬 佳範
 22年前に産声をあげた国産ロール・プレイング・ゲームの金字塔、いまやハリウッドの超『ファイナルファンタジー』(以下、FF)。任天堂のファミリーコンピュータに始まり、その時々のハードの性能を限界まで駆使した華麗なグラフィック、練り上げられた世界観とストーリー、魅力的なキャラクターの数々がゲームファンの心を捉え、発売以来、全タイトルの累計出荷数は全世界で8500万本を超えている。いまやハリウッドの超大作映画に勝るとも劣らない売り上げを誇り、世界的な市場を切り開いた同シリーズ。2009年12月17日には、その最新作である『ファイナルファンタジー』が初めてプレイステーション3をプラットフォームとして発売されることとなった。『FF』のプロデューサーを務める北瀬佳範氏に、開発の裏側とこれまでの歩みを聞いた。
12歳のスター・ウォーズ体験が原点
 「ゲームをクリアした後に流れるエンドクレジットの長さを見ていると、本当にハリウッド映画と同じような規模になってきましたね」と笑う北瀬氏。
 彼がゲームの世界に身を置くようになった原点も、幼き日に観たハリウッド映画にあった。1978年7月、『スター・ウォーズ』が日本で公開されたのである。
「映画が好きだった父親の影響で、小学校低学年の頃には夜9時から放映していた洋画をよく観ていました。それで12歳のときに映画館で『スター・ウォーズ』を観て、すごく面白く感じたのと同時に『何でこんなにリアルなんだろう』と疑問を持ったんです。いわゆる映画のメイキングビデオというのも当時が出始めで、『スター・ウォーズ』のメイキング風景をビデオや本で見ました。ミニチュア模型を用いた特撮手法をいろいろ工夫して、当時にしては非常にリアルに感じるSFの世界を作り上げたことに衝撃を受けて、それまでは受け手として映画を観るだけだったのが、裏方の物作りをしている人たちの仕事に関心を持つようになった。今ゲームの世界で働いているのも、そのときの衝撃が原点になっていますね」
映画作りからゲーム業界へ
 映画制作に関心を持った北瀬氏は、日本大学の藝術学部に進学し、そこでアナログ映画の作り方を学ぶことにした。過去の映画作品を観てストーリーなどを勉強するのと並行して、ゼミの仲間たちと実習で映画作りにも励んだ。
「ロケで外に出て撮影するのも面白いんですが、そのフィルムを持ち帰って、撮影した素材を編集するのが一番楽しかったですね。暗室にこもって映像を組み上げていく作業が好きでした。別の日に撮ったカットがつなぎ合わさることで新たな意味を持ち、映像にリズム感が生まれていく。まるでパズルのようにフィルムを組み合わせることで、作り上げた映像が見る人の心に、何がしかの感情を喚起させるのが面白かった」
 大学を卒業した北瀬氏は小さなアニメの制作会社に就職する。そこは社員数名で、CMやテレビ番組の中で使う短いアニメーション映像を制作していた。北瀬氏は約1年その会社で働き、映像制作の現場作業を一通り体験する。
 『ファイナルファンタジー』の1作目、2作目が発売されたのもちょうどその頃だった。大学生のときに実習でパソコンを使っているうちに、ゲームでも遊ぶようになっていた北瀬氏は、一人のゲーマーとして同作品に初めて触れる。学生のときからゲームは面白いなと感じていたが、コンピュータの知識が無かったため、就職先としては考えていなかった。しかし『FF』との出会いによって、ゲーム業界への転身を考え始める。
「最初は本当に純粋な、『FF』の一ファンでした。飛んだり跳ねたりのアクションゲームが多い中で、『FF』は他のゲームと明らかに違って、ストーリー性があったんです。しかも今に比べればすごく稚拙な2Dのドット絵ですが、出てくるキャラクターがアニメーションで演技をしていた。それを見て『これがそのまま進化していけば、将来的に映画やアニメに近い表現ができるようになるかもしれない』と思い始めたんです」
 その少し前に発売されて大ヒットした『ドラゴンクエスト』もストーリー性のあるゲームではあったが、主人公のキャラクターは自分の分身という位置づけで、無個性の存在だった。その他のRPG作品も、キャラクターより世界観で語っていくタイプの作品が多い中で、キャラクター一人ひとりが個性豊かにセリフを喋り、映画の登場人物のように振る舞う『FF』は、北瀬氏の目にとても新鮮に映った。
「就職してから1年後に、ゲーム業界に転身することを決めたんですが、そもそもコンピュータの知識がぜんぜん無かった。そこで学生のときに作った、人形を使った立体アニメーションのビデオ作品を履歴書と一緒にスクウェア(当時)に送ったんです。それが逆に変な応募が来た、ということで目に留まったらしく、合格することができました。そんなわけで期待もされずに入ったので、会社の中でも新しく立ち上がった新人ばかりのチームに配属されました」
 北瀬氏は『FF』シリーズの5作目からスタッフの一人として名を連ねるようになった。'94年に発売され「スーパーファミコンのポテンシャルを限界まで追求した」と言われる『FF VI』では、初めてディレクターとして製作の責任者を務める。'97年発売の『FF VII』からは、プラットフォームをプレイステーションへと移し、画像処理能力が飛躍的に向上したことから、作品世界も2次元から3次元へと大きく移り変わった。
床がサーバーの重みで抜けるかも?
 『FF VII』は発売直後から爆発的に売上本数を伸ばし、国内ではトリプルミリオンを達成、そしてこの作品から海外のユーザーの支持が高まっていき、全世界で総出荷数1千万本に迫るシリーズ最大のヒットとなった。
「この作品から、まさにハリウッド映画を作っているのと規模的にも変わらなくなっていきましたね。2006年発売の前作『FF XII』で言えば、全世界で600万本以上売れましたが、あらかじめそれぐらいの数字の予測を基にして作品を作るようになっていった。開発スタッフや設備もどんどん大きくなっていき、あるときは画像処理のためのサーバーの重みで、ビルの床が抜けるんじゃないかと本気で心配したこともありました(笑)」
日本人の感覚のままで良かった
 最近では『FF』シリーズの売り上げは、北米・欧州地域を中心とする海外の方が大きくなっている。そのため作品作りも最初から世界市場をターゲットとするようになった。プロモーション用の画像を先行して発表すると、海外のユーザーからリアクションが来るようにもなった。その辺りからスタッフも世界を意識をするようになっていく。
「しかし『世界で売っていくためには』と、必要以上に強くなりすぎた時期もありましたね。たしか『FF VIII』で、作中のキャラクターがストーリー上『ごめんなさい』と謝るシーンがあったんですが、そこでお辞儀させているのを見て、『これは海外のユーザーに意味が通じないんじゃないか』と修正したこともありました。僕らはみんな普通の日本人なので、作っているとどうしても日本的なものが作品に反映される。それは仕方がない」
 『FF X』の発売前には、プロモーションのためにヨーロッパ5カ国をまわり、現地のゲーム系のメディアの取材に答えた。その際に北瀬氏は、イタリアの大学の講師から「なんで君たちは日本人なのにハリウッドナイズされたゲームを作るんだ?」と聞かれた。『バイオハザード』や『ストリートファイター』(ともにカプコン)などのゲームを原作とした映画がハリウッドで制作され、ゲーム業界とハリウッドの結びつきが強まりつつあったのである。北瀬氏はその質問を受けて「たしかにそのとおりだ」と思ったという。
「今はせっかく日本の土壌と感性でゲームを作れるんだから、それを大切にしたいと思いますね。面白いことに今回の『FF XIII』について、アメリカやドイツのゲームショーで向こうのメディアのほとんどの人から、『今回の作品は日本語のボイスは入るのか』と聞かれたんです。質問の真意は正確には分からないんですが、日本人がハリウッドの映画を劇場で観るときに、吹き替え版より英語版を見たいというような気持ちがあるのかもしれません。僕らが気にしていたよりも、世界の人は『日本人の感覚のままでいいよ』と考えてくれていたというのが、ちょっと目からウロコでしたね。今回の『FF XIII』にも、キャラが土下座するシーンがありますが、そのままにしてあります(笑)」
 現在はプロデューサーとして作品全体の予算とスケジュール管理にあたる北瀬氏だが、こだわりを持つ技術者たちを集め、一つの作品の完成に向かって進んでいく上で苦労は無いのだろうか。
「ハードのスペックと技術が上がっていくと、『どこまで作りこめばいいのか』というきりが無くなってしまうところがありますね。やればやるほど良くなるし、当然お金もかければかけるほど完成度は高まる。だから僕の大切な仕事は『ここでいいんだよ』というラインを示してあげることです。PS3という新しいハードで作っているので、その線は僕も含めて、誰も見たことの無いラインなわけです。我々が制作している最中にも、世界中から色んなゲームが出てくるし、それらを超えねばならないという意識は当然ある。前作が出たのが2006年、それから3年が経ち、ファンからの期待も高まっている。『FF』シリーズに求められる作品の質は必ずクリアしながら、市場をにらみつつ納期をどうやって間に合わせるか、ずっとそれを考えていましたね」
文化としてゲームを確立させたい
 現在、『FF』シリーズは『ドラゴンクエスト』シリーズとともにスクウェア・エニックスの看板ゲームとなり、ゲーム業界でも非常に強い影響力を持つようになった。麻生太郎前首相の時代、日本政府はマンガやアニメを日本の重要な資産と位置づけ、国家的にも輸出産業として力を入れていくことを表明した。世界規模で数百億円を売り上げる『FF』シリーズは、日本が輸出できる「文化商品」として筆頭に上がるように思えるが、それに対して北瀬氏は「まだまだですよ」と断言する。
「麻生さんの話で言えば、そういう文脈で出てくるのって、アニメとマンガじゃないですか。ゲームは出てこない。だから『普通の人』の視点から見て、ゲームはまだまだの存在だなと僕は思っているんですね。若者のカルチャーの代表格としてマンガやアニメほどは認知がされていない。まだ新興勢力として見られているのがくやしい。それは10年前から変わっていないですね」
 北瀬氏が数年前、子どもの小学校の入学式に行ったときのことだ。校長先生が挨拶で新聞を取り出し、「世の中でいまゲーム脳というのが問題になっています。親御さんたちは子どもにあまりゲームをやらせてはいけませんよ」と話した。
「あのときは悔しかったですね(笑)。でもその学校のプールの壁には、卒業制作の絵に『FF』に出てくるキャラクターが描かれていたんですよ。でも状況はちょっとずつ変わりつつある。今では普通にお母さんたちが任天堂のDSでレシピを調べたり、学校で勉強に使われたりするようになった。そういう意味では任天堂さんがゲームを文化として一段階、上に上げてくれたと言えますね。僕らも同じようにゲームの位置をさらに向上させていかねばならないなと思っています」
 最後に北瀬氏に、読者にも沢山いると思われる「昔のゲーマー」たちに向けて、同作品のおススメの言葉を聞いた。
「10年ぐらいゲームにブランクのある方が、今の『FF XIII』を見たら、まずビジュアルにびっくりすると思います。実際に遊んでもらえれば、昔ゲームに熱中した感覚もすぐ思い出していただけるでしょう。ストーリーも単純な勧善懲悪の物語ではなく、映画と同じように感動できる話になっています。これまでのゲームを一歩踏み越えた、『作品』と呼べるものになっていると思いますので、ぜひやっていただけたらと思いますね」
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:moblog

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。