┐(゜Д゜;)┌ヤレヤレ新聞

育たぬ世界級ベンチャー 未熟な資本市場が足かせ
 1993年にインターネットが一般に普及し始めて以来、日本でも多くのIT(情報技術)ベンチャー企業が生まれた。だが米国のグーグルやアマゾン・ドット・コムのように、独自の技術や事業モデルを世界中に広めた成功例は皆無だ。開業率や新規株式公開・上場(IPO)も低迷が続いている。日本経済は企業の新陳代謝の不足という長年の課題をいまだに克服できていない。
 90年代前半から2000年代前半にかけて、日本は「第3次ベンチャーブーム」だったといわれる。そのピークが世界的なITバブルの絶頂期でもあった99年だ。
 東京・渋谷を中心に米シリコンバレーのようなITベンチャーの集積地をつくろうという「ビットバレー」構想は当時の熱気の象徴だった。99年2月に構想を提唱した小池聡3Di社長(当時はネットイヤーグループ社長)は「若い起業家とベテラン経営者や法律家らがコミュニティーを形成し、実務的な知恵を分け合う米国のやり方を広めたかった」と言う。
一過性のブーム
 だが次第に賛同者の集会は「未公開株でもうけたい脱サラ志望者や金融関係者が群がり、構想の趣旨と関係ないお祭り騒ぎと化した」。提唱からわずか1年後、集会は打ち止めになる。最終回の00年2月には都内の大型ディスコに約2200人の若者が集まり、孫正義ソフトバンク社長の話に熱狂した。一過性ブームという印象を余計に強める幕切れだった。
 同じころ、赤字の研究開発型ベンチャー企業にも資金調達の道を開こうと新興株式市場が相次いで新設された。だが99年11月開設の東証マザーズでは上場第1号企業の経営者逮捕など信用を揺るがすトラブルが相次ぐ。00年6月に始動した「ナスダック・ジャパン」市場も利用が伸びず、2年半で撤退した。
 その後、06年1月にライブドア社長だった堀江貴文氏が逮捕されたことを機に、ITベンチャーに対する期待は一気にしぼむ。IPOは低迷し、09年はたった19件。「多産多死型の株式大公開時代」は幻に終わった。小池氏は「投資家も起業家も経営者も考えが甘過ぎた」と総括する。
 90年代から独立系のベンチャーキャピタル(VC)として、ディー・エヌ・エーなどのベンチャー企業を育てた村口和孝NTVP代表は「06年以降、証券界に反社会勢力ならぬ『反市場勢力』という言葉が広がった。創業者が長者になった多くのネット企業がそうみられてしまい、これらの企業が出資するベンチャーが上場しづらくなった」とベンチャーブームの後遺症を指摘する。
 ブーム時はVCが無節操に出資し、証券会社はIPOを引き受ける。逆風が吹くと、うわさレベルのリスクも忌避する――。プロらしい企業価値の物差しで律されるべき資本市場が、逆に世相を増幅させ、起業や新興企業育成のあり方をゆがめてきた日本の現実が浮かび上がる。「日本ではVCも人事異動があるサラリーマンばかり。これでは長期的な視点で企業を育てられない」と、自ら大企業VCを辞めて独立した村口氏はみる。
「10年で質向上」
 「上場による金もうけなど気にしない、自分の技術やアイデアで世の中を変えたい、という強烈な大志を持った起業家が国内には少ない」(鈴木幸一IIJ社長)という問題もある。ただ小池氏は「今のIT起業家の質は10年前よりもはるかに高い」とみる。
 例えば国内外の広告賞を数多く受賞して注目を浴びるウェブ技術者集団のカヤック(鎌倉市、柳澤大輔代表取締役)は、世界中で「つくる人を増やす」という企業理念を掲げ、未上場ながら世界展開を準備中だ。文字や画像、音声だけでなく、ソフトウエア技術による機能やサービス設計もコンテンツととらえ、ネット時代の新しい創作型企業の形を模索する。
 柳澤氏は「金銭的利益は結果であって目的ではない。社内外で共有できる理念こそが企業の持続的成長に最も重要」と言う。過去十数年のネット起業ブームの失敗経験がたとえ無意識にでも反面教師として若い世代に生かされれば、日本経済の民力再生に向けて望みはつながるはずだ。



創業期のビジョン重要 小池聡3Di社長
 ビットバレー構想は一過性のお祭り騒ぎに終わった感も強い。だが大企業の有能な人材が独立したり、起業を志向する大学生が増えたりと、日本の人材を流動化させる功績はあった。それらの人材がヤフーやミクシィなど、現在の有力ネット企業で中核的な役割を果たしている例は多い。
 もっとも当時はネットベンチャーであれば無条件に億円単位のカネを投資してしまう上場企業系ベンチャーキャピタル(VC)が目立った。これで資本市場の規律は崩壊。知恵も技術もない自称「起業家」の横行を招いた。
 創業期にいかに現実的かつ大きなビジョンを描けるかでその会社の将来のスケールが決まる。その段階で起業家と投資家が知恵を絞り合う習慣を根づかせることが、日本で起業の成功事例を増やす王道だと思う。



ノーベル賞と科学政策 政府に喜ぶ資格はない 
 生きものがつくる物質(有機物)を人間はつくれないと、昔は考えられていた。
 この「常識」を打破したのはドイツの化学者、ヴェーラー。1828年に腎臓でつくられる尿素をフラスコの中で合成した。尿素は今では保湿クリームなどに使われる身近な存在だ。
 これを皮切りに、有機物をつくる技術(有機合成)が飛躍的に進歩した。染料やゴム、樹脂など様々な素材が工場で大量につくれるようになった。
 ノーベル化学賞が決まった根岸英一、鈴木章教授が手掛けた「クロス・カップリング反応」は、有機合成の中で最も汎用的、かつ精妙な手法だという。医薬品や液晶など現代の生活を支える大切なたくさんの材料の効率的な製造を可能にした。
 2人の受賞で、化学への関心が高まり、化学の道を志す若者が増えれば、うれしいことだ。
 米国籍の物理学者、南部陽一郎氏を入れれば、これで2000年以降に10人の日本人がノーベル賞を獲得することになる。
 そのお祝いムードに水を差すわけではないが、やはり気になることがある。受賞対象の成果が1980年代以前のものばかりであることだ。
 発見がきちんと実証され、世の中の役に立つ実績があがってからでないと、ノーベル賞の対象にならないから、時間がかかるのは当然である。そんな説明にも一理あるが、例えば、今年の物理学賞をみてみよう。
 「グラフェン」という炭素材料の開発で英大学の2人が受賞した。その成果が世に出たのは04年。6年前だ。2人の年齢も51歳と36歳と若い。
 日本人の受賞が遅いと、あげつらっているのではない。70~80年代にすでに日本の科学は高い水準にあったということだ。多くの科学者が海外に留学し、帰国した人も、しなかった人も世界を先導する研究をした。
 物理学について言えば、このころは今より質の高い論文が出ていたらしい。論文引用の統計的な分析で、そんな結果を聞いたことがある。
 政府は95年から「科学技術創造立国」という旗印を立てて、5年ごとの計画に基づき、科学技術予算を増やしてきた。「今後50年間で30人のノーベル賞受賞者を輩出する」目標を掲げようとの勇ましい主張もあった。
 2000年以降10人の受賞者は、政府の計画とは無関係に輩出した。政府の科学技術への予算増強策が真に効果をあげていたなら、受賞者はもう少し多くなければならないはずだ。
 ところが、今、耳にするのはこんな声ばかり。「論文の質・量ともに低下が心配される」「大学院に進学する学生の質が下がり手がかかる」「短期的成果を求められるので腰を据えた研究ができない」……。
 これは政策が間違っていたのではないか。研究費の配分の仕方や研究環境の整え方に問題があり、研究人材や資金をうまく使っていない。
 言い換えれば、研究予算を組む役所、大学や国の研究機関のトップ、影響力のある教授たちの責任である。ノーベル賞受賞を快挙だと喜ぶ資格は、この人たちにはない。次の10年に10人以上の受賞者が現れたときに喜ぶべきだろう。
 鈴木教授は14日、民主党の会議に出席し「資源のない日本では知識が国を支える。研究には長い時間がかかり長い目でみてほしい」という意味の発言をした。その通りだと思う。
 研究には、すぐにでも産業界で役に立つものもあれば、いずれは必ず役に立てようと時間をかけて取り組む「基礎研究」もある。また、素粒子の研究や純粋数学など、何かの役に立つことより知的な関心が先立って取り組む研究もある。
 日本の国の成長のためには、役に立つ研究を急ぐことが今、最も強く求められているが、大きな技術革新をもたらす発見は基礎研究から生まれる。
 どれも大事だが、どれにもふんだんに予算を付けられるほど、日本の財政に余裕はない。「役に立つ研究か、基礎研究か」ではなく、それぞれの分野で何を急ぐべきかを、選択しなければならない。
 すべての大学で、世界と競う先端研究ができるほど資金を厚く配分できない。研究型や教育型など役割を分担し個性を競うべきだろう。人口が減るなか、統合や集約も必要だ。
 科学技術政策の司令塔である内閣府・総合科学技術会議では、11年スタートの第4期科学技術基本計画を練っているが、原案をみると、あれも、これもの感は否めない。会議の名を「科学技術イノベーション戦略本部」などと改称するくらいでは何も変わらない。



トヨタの軽自動車本格参入  販売チャンネル統廃合が見え隠れ
ダイハツ工業からOEM(相手先ブランドによる生産)供給を受け、軽自動車販売に本格参入するトヨタ自動車。2011年秋から全国のカローラ店とネッツ店および15県のトヨタ店とトヨペット店で軽自動車の取り扱いを開始する。
軽自動車と客層が重なる小型車が充実しているカローラ店とネッツ店では軽販売によるメリットも大きい。一方、高級車を揃えるトヨタ店、トヨペット店にとって軽販売がもたらす効果は未知数だ。今回の軽販売に伴うトヨタの決定の裏側には、今後の国内販売の方向性を示す「ある意図」が隠されているように見える。
軽を販売する15県の選定理由とは
カローラ店とネッツ店以外に来秋から軽自動車を販売するのは、四国全県と福岡を除く九州全県、青森、秋田、鳥取、島根、沖縄の計15県に位置するトヨタ店とトヨペット店。15県の選定理由としてトヨタは「2008年実績で軽自動車の販売比率が50%を超えている地域」と説明している。
しかし、厳密に各県の軽販売比率を見てみると、この15県のうち50%を超えているのは9県で、残り5県は40%台後半となっている。軽販売比率が40%台後半の県は、今回選定されなかった地域にも多数存在している。
なぜ、トヨタはこの15県選んだのか。
「四国全県」や「福岡を除く九州全県」といった選定方法から推測すると、これらは「地方部の同一商圏」と見ることができる。
内部では「チャンネル統廃合議論もされている」
つまり、今回の選定地域ではチャンネル間での営業拠点統合や併売車種の拡大に踏み切りやすい。このことから、トヨタは軽販売の本格参入を機にチャンネル統廃合のトライアル地域を選定したと見ることもできる。
現在、国内のトヨタ系列販売店は4チャンネル合計で5000拠点を超えている。新車市場が年々縮小しているなか「拠点数に余剰感がある」(トヨタ幹部)との認識はトヨタ内部にも広がっており、実際に「チャンネル統廃合の議論もされている」(トヨタ系列ディーラー)という。
今回の軽販売参入の背景には、トヨタが抱える最大の課題「4チャンネル体制の再編」が見え隠れしている。
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