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【“宇宙人”が作ったゲーム市場】世界“攻略”する一大産業(COLUMN)
 スペースインベーダーが生まれた1978年。TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」が放送開始され、サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビュー。東京五輪(64年)、大阪万博(70年)などを受けた高度経済成長は73年に終わったが、山陽新幹線の博多までの開通(75年)や東北・上越新幹線の開通(82年)など、まだ日本経済に勢いが続いていた。78年は成田空港が開港した年でもある。
 スペースインベーダーの爆発的な人気を受け、80年にナムコがドットを食べ尽くすと面をクリアできる「パックマン」、81年に任天堂が障害を越えてマリオがゴールまでたどり着くと面をクリアできる「ドンキーコング」を出すなど各社が趣向を凝らしたテレビゲームを開発。各社を代表するゲームキャラクターが生まれた。また、喫茶店だけでなく、ゲームセンターやアミューズメント施設と呼ばれる専門の遊戯施設が各地に登場した。
 産業としてのゲームは、アニメと並ぶ2大オタク文化に成長。業務用、家庭用、パソコン用をあわせた国内のゲームコンテンツ市場規模は2004年に1兆円を超えたと推定(デジタルコンテンツ白書)され、06年に経済産業省が初めての本格的国家戦略「ゲーム産業戦略」を策定。また、その是非について論争が続いているものの、文化庁によるマンガやアニメ、ゲームを収集・展示する拠点施設の「国立メディア芸術総合センター」新設に政府が今年度の補正予算で事業費117億円を計上するなど、スペースインベーダーから始まった産業はいまや堂々たる産業へと育った。

テレビを凌駕したマリオたち

 家庭用ゲーム機の原点となったのが、1983年発売の任天堂「ファミリーコンピュータ」だ。今では、ライン端子どころかデジタル端子でのテレビへの接続が当たり前となったが、当時はテレビアンテナ端子から混線させて、テレビの1チャンネルまたは2チャンネルで受像させていた。発売当時の価格は1万4800円だが、1個当たり3000~8000円程度のカートリッジソフトを替えることで、数多くのゲームで遊べた。ソフトは、カメをひっくり返してけ飛ばす「マリオブラザーズ」、マージャンや将棋などのテーブルゲーム、野球やサッカーなどのスポーツゲームなどが次々発売された。
 87年にNECホームエレクトロニクスが「PCエンジン」(当時2万4800円)、88年にセガ・エンタープライゼスがメガドライブ(当時2万1000円)などを発売した。
 家庭用ゲームの普及は、家庭におけるテレビ放送の視聴時間にも影響を与えた。ゲーム以外にも、インターネット、携帯電話など複合的な要因によるが、NHK放送文化研究所の「2005年国民生活時間調査報告書」によると95年から05年にかけてテレビ視聴時間は、10代男性(日曜)が3時間34分から2時間52分に42分減、20代男性(同)が3時間48分から2時間45分へと1時間3分減となるなど、若い男性のテレビ番組視聴時間を減少に導いた。
 基板の搭載されたカートリッジソフトから、CD-ROMを経てDVD-ROMが主流に、また、コントローラーは十字キーとボタンというものから、慣れればプレーヤーを思い通りに操作できるアナログコントローラー、加速度センサーなどを搭載したコントローラーなど多様化している。また、ゲーム機とコントローラーの間にコードのないワイヤレス接続も主流となっている。

ドラクエ・FFに日本中が熱狂

 古くはアップルコンピュータ(現アップル)のパソコン「アップルII」用ソフトなどで「ウィザードリィ」「ウルティマ」などのヒット作があったが、任天堂の「ファミリーコンピュータ」の登場で、高価なパソコンなしに誰でもじっくりと遊べるようになり、「ドルアーガの塔」「ゼルダの伝説」など数多くのロールプレーイングゲーム(RPG)やアドベンチャーゲームと呼ばれるソフトが作られ、1ジャンルを確立した。
 これらRPGの多くは、プレーヤーが主人公になりきり、試練や戦闘を乗り越え、成長して武器や仲間も増やし、大ボスを倒すという筋書きとなっている。
 なかでも、エニックスの「ドラゴンクエスト(ドラクエ)」とスクウェアの「ファイナルファンタジー(FF)」は2大ソフトに成長した。ドラクエの1作目は1986年に、FFは87年に発売され、両社は当初、ほぼ1年ごとに新タイトルを繰り出した。
 90年前後には新作の発売日に家電店などで徹夜で並ぶのが恒例となった。もっとも、ファンにとっては誰よりも早くゲームを攻略するのが目的なので、徹夜で並ぶ行為自体が、ゲーム攻略行為の一部ともいえる。両ソフトは、ゲーム機メーカーにとっても外せないソフトとなった。
 新作ソフトを手に入れることが困難だったことから「ドラクエ狩り」と呼ばれる強盗行為も続発し、一時紙面をにぎわした。その後、96年にスクウェアが中心となって設立した「デジキューブ」が、発売日にコンビニなどでソフトを受け取れるサービスを開始したほか、ネット通販を通じてもソフトが買えるようになったことなどから狂騒は沈静化した。
 そもそも、発売日に行列ができるのは、メーカーが大量在庫を危惧(きぐ)して、初回の発売数を少なめに調整していたため。その理由はソフトがROMカートリッジ式だったことが大きい。97年の「FF7」、2000年の「ドラクエ7」(ともにプレイステーション向け)ではCD-ROMとなったため、さほどタイトな供給とはならなかった。
 一方、ゲーム機の高精細化、3D化などに伴って開発費もふくらみ、毎年新作を発売することが困難となるなどし、RPGで直接のライバル関係にあった両者は03年に合併、「スクウェア・エニックス」となった。

リビングの覇権狙い家電参戦

 家庭用ゲーム市場が拡大し、リビングの中央に鎮座するようになって、大手電機メーカーも相次ぎ参入した。1994年、松下電器産業(現パナソニック)が「3DOリアル」(5万4800円)、三洋電機が「3DOトライ」を発売した。また、セガ・エンタープライゼスが「セガサターン」(4万4800円)を、互換機を日本ビクターと日立製作所が発売した。一方、家電メーカーとしては唯一、8ビット機から参入していたNECホームエレクトロニクスはPCエンジンの後継となる「PC-FX」(4万9800円)を発売。そして12月にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)が「プレイステーション」(3万9800円)を発売。96年には玩具メーカーのバンダイも、アップルコンピュータのマッキントッシュ互換「ピピンアットマーク」(4万9800円)を販売開始する。
 家電メーカーをゲーム機に走らせた理由の一つに、ゲーム機が音声や映像などのマルチメディア端末として位置づけられるようになるという予測があった。3DO、サターン、PC-FX、プレイステーションともにCDドライブを搭載。動画を再生するDVDプレーヤーへと道は続いていた。
 結果的に、家電メーカーで残ったのはプレイステーションのみ。当時最先端の32ビット機では、最後にプレイステーションとサターンの対決にもつれ込んだが、結局、ファイナルファンタジーとドラゴンクエストというロールプレーイングの巨大タイトルを2つともプレイステーションが獲得したのが最大の勝因とされる。プラットホームの命運はいかにソフトメーカーを身内に引き込むかで決まるというのは、最近の次世代DVD争いなどにも通じる。
 サターン後継機の「ドリームキャスト」の生産を中止して2001年にセガが家庭用ゲーム機から撤退した後、ゲーム機市場は、SCEIと任天堂の2社寡占状態になったが、コンピューターソフト最大手のマイクロソフトが同年に据え置き型「Xbox」で参入、現行の「Xbox360」を05年に投入して善戦している。現在の据え置き型ゲーム機はマルチメディア再生機能はおろか、インターネットの接続機能も搭載しており、まさに、リビングの覇者争いの様相を呈している。

ネットにDVD鑑賞…機能進化

 公園の遊具の上、図書館の階段などで、小学生が集まってひたすら携帯型ゲーム機をしている姿を見るのは、今では少しも珍しくない。通信機能を使って多人数で同時プレーができるロールプレーイングゲーム(RPG)の“冒険”などで遊んでいる。
 「スペースインベーダー」の登場後、携帯型ゲームとして現れたのが、1980年発売のカシオのゲーム電卓「デジタルインベーダー」と任天堂の「ゲーム&ウオッチ」だった。ゲーム&ウオッチの「ドンキーコング」は、「ニンテンドーDS」シリーズ同様に、液晶画面が上下に2枚つながっている。
 当初の携帯型ゲームは、1種類の遊びしかできなかったが、89年に任天堂が発売した「ゲームボーイ」(1万2800円)は、据え置き型の「ファミリーコンピュータ」と同様にカセットを交換することで、遊べるゲームを替えることができた。
 当初は白黒画面だったが、98年に「ゲームボーイカラー」、2001年には「ゲームボーイアドバンス」が登場。任天堂以外のソフト交換式携帯型ゲーム機は、90年にセガ・エンタープライゼスの「ゲームギア」(1万9800円)、98年にSNKの「ネオジオポケット」(7800円)などが登場した。
 現在はともに04年に発売された任天堂の「ニンテンドーDS」(1万5000円)シリーズとソニー・コンピュータエンタテインメントの「プレイステーション・ポータブル(PSP)」(オープン価格)シリーズの2社の争いとなっている。DSもPSPも無線LAN機能が搭載され、インターネットにコードなしにつながり、DSは2画面あるタッチパネルをペンで操作するのが、一方のPSPは家庭のDVDレコーダーと連携して、録画したテレビ番組を持ち運べるなど、ゲーム機を超えた機能が特徴となっている。
 ソフトのラインアップの影響などもあって、小学生などの低年齢層がDS、サラリーマンなどの高年齢層がPSPで遊んでいる傾向が強い。

ケータイと融合 広がる商機

 電車内で長い間メールを打っているなと思って、ちらっと画面をみたらゲームだったりする。それも意外と女性が小さい声で「ロン」とつぶやいたりして。
 携帯電話でゲームを遊べるようになったのは、「アプリ」と呼ばれる機能を搭載した携帯電話端末が登場した2001年以降。java(汎用プログラムの一種)やフラッシュ(音楽や動画、アニメーションなどを組み合わせたコンテンツを再生するソフトウエア環境)など、パソコン並みに複雑なプログラムを走らせることが可能になった。
 各携帯電話会社の公式サイトのほかに、携帯電話用にゲームを販売したり、無料提供するいわゆる“勝手サイト”も登場。ディー・エヌ・エー(東京都渋谷区)の「モバゲータウン」などが有名だ。
 携帯電話機に、加速度センサーや搭載カメラによる傾き検出などの機能が搭載されるようになって、ボタンによる操作でなく、携帯電話を動かすことによるゲーム操作も可能となり、直感的に操作できるゲームなども定着している。
 また、音楽プレーヤーで出発したアップルのアイポッドも全面がタッチパネルの携帯電話端末「アイポッド タッチ」に進化したことで、携帯ゲーム機化が進んでいる。08年には全面タッチパネルのアップル製携帯電話「アイフォーン3G」が国内に登場。内蔵されている加速度センサーなどを搭載して、音楽、ビデオ、ゲームがフルに楽しめるようになっている。
 携帯電話機がこうした機能を持つようになれば、任天堂やソニー・コンピュータエンタテインメントなどが確立してきたゲームのプラットホームビジネスも変化する。ゲーム業界の台風の目は、いまや携帯電話だといえよう。
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