(TДT)新聞

日本のゲーム開発者が知らない米Facebookの下克上(COLUMN1)
 世界最大のゲーム開発者会議「Game Developers Conference 2010(GDC 2010)」が3月9~13日に米サンフランシスコで開催された。ゲーム市場の世界的低迷の影響で参加者数は減少すると思われていたが、ふたを開けてみると1万8500人と昨年を1500人上回った。その理由の一つが、米ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の「Facebook」を中心に人気を集めるソーシャルゲーム関連の講演の充実にあったことは間違いない。
 09年のGDCでソーシャルゲームはここまで重要なテーマではなかった。日本で想像していたよりはるかに速く、ゲーム産業の再編が進んでいることを実感した。
 Facebookのプラットフォームマネジャーであるガレス・デイビス氏は、基調講演でサービスの全体像を紹介しながら、自らの強みである「数」の論理をアピールした。デイビス氏によると、Facebookの中核は「オンライン上の現実のアイデンティティー(Your real identity online)」にあるという。現在、Facebookには4億人がユーザー登録し、友人とオンライン上でつながる関係性を持っている。そのうち2億人は毎日アクセスするアクティブユーザーで1人当たりの平均アクセス時間は55分に及ぶ。ゲームを日常的に遊んでいるユーザーも2億人に上る。
 Facebookの優位性は、ユーザーのデータのすべてをインターネット上の自社サーバーに置く「クラウド型」のサービスである点にある。ユーザーにとって最も大切なのは、自分がサーバーに預けたデータ、つまり「アイデンティティー」である。自分自身のデータをサービスに預ければ預けるほど、そのサービスを別のサービスで代替することは難しくなる。
 ゲームでも、自分のプレー結果が反映されたデータには値段に代えられない価値がある。そのデータをクラウド側が直接押さえているのである。しかも、ユーザーがどのようにゲームを遊んでいるのかを100%把握している。強いのは当然だ。
 クラウド型サービスは、特定の物理メディアに依存せず、ユーザーに供給するデータの内容を好きに決めることができる。そのデータを有料化することも、無料で提供することも自由だ。ゲーム産業は昨年まで、Facebookは「無料で利用できる有効な口コミマーケティングツール」ととらえていた。今年は違う。プラットフォームとして、既存の家庭用ゲーム機などのハードウエアを凌駕するほどの影響力を持ち始めたのである。
ハードウエア優位時代の終わり
 Facebookは、外部の企業がサービスを自由に連携できるAPI(アプリケーション・プログラム・インターフェース)を「Facebook Connect」という形で提供している。これを利用すると、カジュアルゲームと呼ばれるパソコン向けのダウンロード販売型のゲームの結果をFacebookのデータと連動させることができる。米アップルの「iPhone」向けゲームアプリでも、この機能を使うことができる。
 任天堂も09年7月から、携帯型ゲーム機「ニンテンドーDSi」でカメラ撮影した写真を、このAPIを利用してFacebookにアップロードできるようにした。米マイクロソフトも09年11月に家庭用ゲーム機「Xbox360」をFacebookと連携し、ソニー・コンピュータエンタテインメントも「プレイステーション3(PS3)」で獲得したトロフィーや購入したゲームの情報を投稿できる機能を追加した。
 この状況をデイビス氏は、「マルチデバイス・プラットフォーム」と呼んだ。ある人はパソコンから、ある人は携帯電話から、ある人はゲーム機からアクセスする。提供される機能は共通しているわけではないが、中核にユーザーのアイデンティティーを統合する存在であるFacebookがある。
 もちろん、デイビス氏は、ハードウエア会社より自社の方が上位にあると発言したわけではない。しかし、「ハードウエアが優位であった時代は終わる」という事実を言外に突きつけているのは明らかだ。ネットに接続できるハードウエアが、超巨大化したFacebookに関わらずにいることはもはや難しくなっている。
市場が急拡大、アップルとの競合も
 Facebookの進撃は止まらない。米Many-eyes.comが世界のSNSの勢力図をまとめたデータによると、Facebookは全世界の大半を押さえている。米調査会社Inside Networkのジャスティン・スミス氏の講演によると、10年3月1日現在のFacebookユーザーの内訳は、北米が1億4000万人で36%、欧州が1億3000万人で34%だが、インド、インドネシアなどのアジア地域も7000万人と18%を占めている。
 その影響力は課金システムで発揮されようとしている。Facebookは、独自の仮想通貨「Facebook Credit」を順次拡張していくことを明らかにしている。有料アプリやコンテンツの販売額の3割をFacebook側が取るオンライン決済の仕組みだ。ゲームのアイテム課金に向いたシステムで、8300万人のユーザーを集める人気農場育成ゲーム「FarmVille」がまず対応した。
 しかし、これはアップルにとってやっかいな仕組みとなるだろう。Facebookに対応したアプリを無料でiPhone向けに配信し、課金はFacebook Creditを使うといったケースが出てくれば、直接競合する関係になるからだ。他の家庭用ゲーム機なども同じ問題に直面することになる。
日本人参加者が実感した「津波」
 Facebook関連の講演を聴いていて痛感したのは、日本企業の存在感のなさだ。そもそもFacebookが日本では人気がなく、大きく広がりそうな気配もないので当然ではある。Facebookで収益を上げている欧米ゲーム企業も日本市場を気にかけていない。なぜなら、日本以外の地域でユーザー数が増加し続けているからだ。
 スミス氏によると、北米のアイテム課金市場は08年が5億ドル、09年が10億ドル、さらに10年は16億ドルにまで拡大するという。日本の家庭用ゲーム機のソフト市場は約3300億円であり、その半分の規模まで急成長する計算だ。
 ソーシャルゲームのトップパブリッシャーである米Zyngaは、新しいゲームを公開してから7日間で1000万人のユーザーを集めるだけのパワーを持っている。例えば、前述のゲームFarmVilleは11人の技術者が5週間で開発し、人海戦術でアップデートしてコンテンツを充実させている。ユーザー行動を分析して、有料アイテムを的確に提供するという繰り返しで、新しいゲームを順次リリースしていく。スミス氏は、Zyngaを巨大戦艦にたとえ、「他の企業が対抗するのは難しい」と豪語していた。
 Facebookをはじめとするゲームのプラットフォームと新しい市場が、日本のゲーム産業と関係ないところで出現し、世界のゲーム産業の様相を変えようとしている。富を生む場所がシフトし、日本は後追いになりつつある。
 GDCに参加した日本の中堅ゲーム開発会社の経営者は、「スピード感と規模感が違いすぎる。帰国後、これまで会わなかった投資会社と積極的に話している」と述べていた。変わらなければ、いずれ津波に飲み込まれる。今回のGDCで、津波を実感したという日本の開発者は多かった。



マスメディア崩壊という共同幻想(COLUMN2)
 3月22日に生放送されたNHKスペシャルの『激震マスメディア』に出演した。この番組については多くの人が多くのことを語っていて、今さらその内容について私が付け加えることはほとんどない。ただひとつだけ言っておくと、会話がかみ合わないことは事前から十分に予想できたことで、そもそも企画したNHKのスタッフだって「かみ合った議論」を期待していたわけじゃないと思う。そうでなければ新聞協会会長、民放連顧問なんていう巨塔を出演者としてぶつけてくるわけがない。

 それをNHKが狙っていたのかどうかは別にして、あの討論に意味があったとすれば、新聞やテレビという亡びていく巨象にわかりやすい「顔」を与えたことだった。新聞にしろテレビにしろ、一部の有名記者やコメンテーター、タレントを除けば、どのような人たちがそうした組織を維持し、世論を作り出しているのかという生身の姿はほとんど見えない。新聞のコラム(たとえば『よみうり寸評』)がTwitterについてどんなに的外れなことを書こうが、それがいったいどのような人たちによってどのような表情で語られているのかは見えてこなかったということだ。

 『激震マスメディア』では、新聞協会会長と民放連顧問という業界を代表するお二人が、その「顔の見えない巨象」についにきちんと顔とことばを与えた。多くの視聴者に対して「ああ、このような人たちがマスメディアを体現しているのか」「この人たちはこんなことを考えていたのか」という認識を実体として提供することができたということだ。つまりはマスメディアを象徴するアバター(仮想分身)である。
マスメディア崩壊という共同幻想
 いずれにせよ、あのような討論の有無には関係なく事態は粛々と進行している。昨年初めごろまでは「本当にマスメディアは崩壊するのか?」というような疑念を持っていた人はネット業界においても少なくなかった。しかしいまやその崩壊は確実に進行しつつある事実認識として、徐々に人々の間に共有されつつある――もちろん、マスメディアの中の人たちにも。
  これは必ずしも、企業体としての新聞社や放送局がみんな破綻して消えてなくなるという意味ではない。昨年上梓した『2011年新聞・テレビ消滅』という本でも書いたが、新聞やテレビが全国民と接続される「マスのメディア」としての機能は間もなく失われ、今後は多様なメディア空間が展開されてくる。そしてそのメディア空間の出現を、多くの人が実感として認識するようになるということだ。

 もともとマスメディアなどというのは、しょせんは幻想の共同体にすぎなかった。しかしその幻想をマスメディア自身が構築し、国民にその幻想を放射することによって、マスメディア企業はマスメディアとして巨大化していった。それがこの戦後65年間の間に起きてきたことだ。
 いまはまだマスメディアの崩壊という認識は、インターネットの論壇界隈に接点を持っている一部の人たちに共有されているにすぎない。しかしその認識は、週刊東洋経済や週刊ダイヤモンド、SAPIOといった週刊誌・月刊誌がさかんに組む特集によって増幅され、さらには今回のNHKスペシャルによってさらに広範囲の視聴者にも送り込まれている。

 こうした情報配信が繰り返されることによって、「新聞やテレビはもう終わりなんだ」というイメージは徐々に浸透していく。つまりはかつてマスメディアが自身を幻想化して巨大化していったのと同じように、いまやマスメディアの側がみずからの崩壊イメージを構築しはじめているのだ。「これから新聞とテレビはなくなりますよ!」というイメージを、マスメディアの側が再生産しはじめているのである。
マスメディア崩壊をマスメディアが後押しする

 そしてそのイメージは、まさにマスメディアがマスメディアであるゆえんによって補強されていく。幻想を産み出すマスメディアが流すからこそ、「マスメディアの崩壊」は自明の理として認識されるようになるという何とも逆説的な現象が起きはじめている。

 その事態の進行はかなり興味深い。今回NHKがマスメディアの崩壊を取り上げたように、朝日新聞は「苦境・新聞業界」「社員、リストラに不安も」と毎日新聞の共同通信再加盟を大きく報じ、週刊東洋経済は「新聞・テレビ陥落」「新聞・テレビ断末魔」と大特集し、週刊ダイヤモンドは「新聞・テレビ複合不況」とぶち上げた。だが自分のところがどれだけ危機的状況にあるのかは、どの企業もほとんど報じていない。そのあたりの「他人事」感覚は、週刊ダイヤモンドが予定していた電子書籍特集を、直前になって経営陣の鶴の一声でつぶしてしまった事件に象徴されている。

 だがこれは過渡期でしかない。間もなく新聞もテレビも総合週刊誌もみずからの崩壊を語り、論じなければならない時期がやってくる。それが記事の体裁をとるのか社告や識者座談会のような形式になるのかはまだわからないが、いずれにしてもそれはビッグバンからビッグクランチへと転じるマスメディア幻想の最後の号砲となるはずだ。

 いまやマスメディアの崩壊は、議論の前提である。そういう段階に差し掛かっているのだ。そうであればこれからメディアの世界で考えていかなければならないのは、その先にいったい何が待っているのかというビジョンだ。これについては、別のエントリーを立てよう。
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